First Stand

人生の棚卸しからの仕切り直し

自分のネガティブさに気づいたら、少しネガティブが減った

ここ最近の振り返りの甲斐あって、自分のものっすごいネガティブさに改めて気づいたところである。なんとなくそんなような気はしてたけど、こんなに性根から否定的だとはおどろきだ。こういうのを無意識っていうんだろうね。自分が意識が届かないところ。無意識なのに、なんか繰り返す観念。でも、その無意識も気づけば意識。

無意識化にあった、己のしつこい自己否定感にもおどろいたんだけど、またさらにひとつ発見なのが、それに気づいたら、なんか自己否定感が影をひそめた。不思議だ。自分の中で、常に何かを否定する繰り返す観念の元凶みたいなのがあったと思う。それにこの度気づいた。気づいたら、なんだかその内側からわき上がる否定感みたいなのが減少した。前は次から次へとネガティブがあふれ出て、垂れ流していたのにね。

カウンセリングでは、内省を深めていくことによって、これまで無意識化にあったところに気づくという作業がある。それによって、囚われていた考えから解放されたり、どうにも身動き取れなかった自分から、少し距離をおき俯瞰して見れたりして。自分を掘り下げて、内省して、向き合うことで、自分から少し離れて楽になれる。そんな作業だと思う。

そんなカウンセリングの話を聞いたことがあった。え、気づくだけで楽になんの?って思ってたけど、ちょっとだけ楽になるね。またひとつ、自分の心の中に刺さっていたトゲが取れた感じ。だいぶ取ったはずだけど、まだもう少し残ってる感じ。自己を否定するメッセ―ジを受け取り続けた結果、それが自分の中にこびりついてるんだろうね。それが世界を受診するレンズになってるんだろうなと。頭では理解している。

忘れたはずなのに、ふとしたときに思い出すような苦い記憶とかあるもんね。そういうのって、普段は影をひそめてるんだけど、何かのキッカケで急に意識の上にのぼってくるじゃん。超ビックリするよね。それだけでもなんだか気分悪いのに、きっと普段から意識の手前で、その苦さが自分の中にしみこんでる。毒出ししても、すぐに全部の毒が抜けるわけじゃないからねん。デトックスも長期戦なのである。

いつもネガティブが聞こえる

今年の目標は”スーパーポジティブ”とした。毎年、適当な目標を適当なタイミングで立てている。適当に立てる割には、適当だからこそ、だいたい振り返ると目標達成してたりする。年によって、具体的なものもあれば、観念的なものもある。それで、今年の目標はというと、すごい今までにないくらいの挫折。目標未達。目標として不適切。

ここ最近、己のコミュニケーションを振り返るという作業をしていて、改めて気づいた。自分、ネガティブすぎだろ。ビックリした。私は根暗です、許されるならずっと引きこもっていたいです、休みの日は本当は1日家でゴロゴロ寝ていたいです、インドアというかインベッドです、死んだように寝たいです、私を放っておいてください、さがさないでください。こういうことよ。

そんな根暗でインベッドな私がなんとか社会生活をしようってことなので、まぁストレスたまるだろ。そして、いつも頭の中でネガティブが聞こえる。これは前から気づいてはいた。いつもネガティブが聞こえる。それは自分に向けられていることもあるし、他人に向けられていることもある。でも、とにかく何かの対象に常に批判が向けられているような感じがあった。

それが自分に向けば、自己嫌悪とか自分を責めるとか追い詰めるとかそういう感じで、そこに人がいれば、すごく申し訳ない気持ちになる。逆に、それが自分以外の誰かに向けば、単純に他者批判になる。このとき、申し訳ない気持ちからは開放されるが、どこかでいつまた自分が批判されるんじゃないかっていうような、そんな不安がある。だれも批判なんてしてないのに。

だから、このときも他者を批判しながら、自分にも後ろ指を指しているような気がしている。この批判の元は、自分に向くか他者に向くかというベクトルの違いを除けば、本質的には同じもので、批判がどこに向こうが常に私は自己否定をしているのでは、ということになんとなく、なりそうな…おう。お、おう。大丈夫か、わたし。

いつも、ふとしたときに思う。”わたし、大丈夫かな”という感じ。自己を批判しながら毎日を過ごすのはきついよ。そして、人を批判しながらもきつい。そのうち無駄にイライラするだけ。少し前の私はそうだった。頭の中がぐるぐると批判でいっぱい。他者への批判なのか自分への批判なのか。とにかく頭の中が消耗していたし、不健全な気はしていた。

病気になって休んだ間、その怒りの矛先を向ける他者との関りも極端に減り、怒りのエネルギー減って、批判するような火種から解放されたところがあると思う。毒が抜けたというか。易刺激的だったけど、ちょっと閾値が高くなったというか。そこで、同じようなことを繰り返さないためにどうしたらよいか。今のところ、マインドフルネスとかいいのかなと思っている。

頭の中で繰り返されるその批判の声。すべてを否定するほどの勢いで、それ相手してたら身動き取れなくなるわ。その聞こえてくるネガティブはもう存在しないのに、根っこ染み付いてるっぽい。そこに囚われてしまうと、自分で自分をダメにする。そしてダメなると更にその声に囚われるという悪循環。すごい。結構威力あるかも。

 

助けてもらったとき素直に感謝を伝えるのが難しい

コミュニケーションのことを書いてから、改めて自分の変なコミュニケーションが気になるようになった!なんか恥ずかしい!でも、どこかで変だなと思ってたけど修正する機会もなく、そのまま繰り返してやってきちまったなという感じ。ちょうどいい機会なので、己の変なやつを洗い出して、修正したらいいんじゃないかと思っている。

今、一番困っているのが、色々周りの人に助けてもらったときの感謝の気持ちとか、かたじけないみたいな気持ちを伝えるときのやつ。この度、病気を患い少し仕事を休むことになった。それで、休むことになる前にも職場の人には事情を話し、とっても気遣っていただいたし、休みがあけて仕事に復帰しても、とってもお心遣いをいただいている。ただ、迷惑をかけている身で、まだ全力で仕事ができる感じでもなく、仕事に戻ったといっても、色々みなさまのお力を借りまくって、自分の負担を他の方が代わりに請け負ってくれている。

こういうとき、とっても感謝の気持ちでいっぱいになると同時に、とっても申し訳ない気持ちになるもので。もう、なんならちょっと無理しても自分でやっちまった方が、気持ち的に楽っていうのもあると思う。でも、いいからいいからと、気遣ってくださる優しさに包まれたなら感謝しかないんですけど、でもこの状況でめっちゃありがとう!という感じでもないし、でも申し訳ありませんという感じでもないし、それ言っちゃうと余計に「いいのいいの」って言わせちゃうしとか、色々と頭の中でぐるぐる回る。

ぐるぐる回って気の利いた言葉が出てくるはずもなく、あわあわ、ふらふら。「いいのいいの」と言われ、そのまま”はい、すみません。ありがとうございます。”と言って、お言葉に甘えまくっている。このときの受け身な感じが、いいのかな?と思ったりする。とっても感謝の気持ちでいっぱいなのに、それを伝えることをためらう気持ちに負けてしまうのだ。なので、言われるままにお言葉に甘えますという態度になっている。

でも、そうじゃない!もっと積極的にお言葉に甘えさせていただきます!感謝しています!という感じを伝えたい気がする。優しさを差し出されたのにもじもじしているような感じが受け身で、図々しい。そうだ、思いっきり”ありがとうございます!”と言えばいいのか。よし、これからはなよなよもじもじうじうじ申し訳ねぇ…としたとしても、感謝の気持ちを伝えたかったら、最終はきちんと”あざぁあああす!!”と気合を入れて感謝の気持ちを素直に伝えればいいかな。おっしゃやってみるべ。