First Stand

人生の棚卸しからの仕切り直し

人とのつながりが癒すもの

友人の結婚式に行ってきた。長い付き合いの友人である。招待状が届いて、その返事を出そうというときに、自分の病気が発覚した。入院する可能性が出てきて、招待状の返信をどうしたらいいかと、保留にしたままだった。正直に伝えて返事を待ってもらえるか聞いたら、優しい言葉とともにOKをもらった。

無事、退院して、めでたく結婚式に出席できた。昔からの友人にも会えた。なんてゆうか、気持ちが満たされたみたい。心が満足したみたい。自分を癒すものとして、友人に会うというのは大きい。別に何を話すでもなくても、なんか会ってお茶とかご飯とかするといいみたい。近況報告したりしなかったり。なんでもいいみたい。もしかしたら、くだらない話してるのが一番いいかもしれない。中身のない話が最高かもしれない。

自分の中の大切なキーワードとして、普遍的ってあると思う。自分は変わってしまった。どんどん変わっていく。変わっていかなければ。そんな変化を求める内なる動力が働いている。でも、確かなものとして普遍性ってものに惹かれるところがすっごくある。いつもそこにあるもの。変わらないもの。いつでも変わらずにそこに。そういうものをずっと求めていたからね。

自分が変化することで、生きてきた。それは私なりの生存戦略だったと思うけど、でも変わらないものに憧れた。でも、昔からの友人に会うと、何も変わってない自分がいるような気がする。成長してないとか言いながら、本質的なところ、きもち、こころ、そういった自分の中や関係性に、その普遍性が見出せるような気がする。

だからとっても癒された。わたし大丈夫かなって確認することは忘れてた。そんなことする必要もなかった。だって大丈夫に決まってる。わたしは大丈夫。そんなこと当然。そんなこと思いつかないくらい、当たり前の感覚として自分の中にあった。だから、仕事に行っても自分を確認してない自分がいて、それに気づいてびっくりした。いつも、だいたい、鏡か何か自分が映るものが目に入ると、頭の中に、わたし大丈夫かな?という言葉が思い浮かぶ。不安になって確認する。でもそれを忘れてた。

人とのつながりで癒された効果があった模様。きっと、その間、自分を否定するものからも解放されてたんだ。自分のことをふっと忘れられるって健康的だよね。