First Stand

人生の棚卸しからの仕切り直し

常に大丈夫か確認している

自分を否定する感覚と共に、いつも頭の中で確認している。”わたし、大丈夫かな?”これは、特に社会的な場面でそういう風に不安になって確認しないと心配、という感じ。だから、鏡に自分が映れば、身だしなみとか化粧とか大丈夫かな?と不安になって確認する。”わたし、大丈夫かな?”一体何が大丈夫なのか、自分でもよくわかんない。でも、ずっと”大丈夫かな”と疑問と確認を繰り返している。

例えば、仕事などで社会的な役割がある場面でもそう。”これで大丈夫かな?”と、不安で疑問だし、”いや全然大丈夫じゃない”と思って焦るし、大丈夫じゃない状況になれば、より一層自己否定感が強まるし、大丈夫っぽい状況でも”まだまだ”と思う。”安心してはいけない”と思う。基本的に自分に対して、否定感があり、安心はできない。だから確認する。大丈夫かなと。

そうなると、大丈夫な状況でもそれを大丈夫とは受け取れない。本当かな?これでいいのかな?と疑いは晴れないのだ。そして、ネガティブと同様にこの大丈夫かな?という確認と不安は他者にも向けられていたみたい。

以前から、自分が苦手とする人の共通点として、社会的な役割に見合う責任を果たしていない人というのがあった。簡単に言えば、上司なのに仕事があまりできないとか、ルールを守らないとか、知識が少ないとか、そういう感じ。または、専門職なのに、その役割に任せられた責任を果たしていないとか。逆に、その立場じゃないの過干渉だったりする人に対しても、役割とずれた行動ということで苦手だった。つまり、私の中でその役割に見合った行動言動責任を取るということがポイントのように思われる。

それが、自分に向けば、常に”自分て大丈夫か”と、課せられた社会的役割に見合っているのか不安で疑問であるし、それに見合ってない感じの人に出会うと強い拒否感が生じてくる。そして、自分の自分に対する評価は常にダメダメなので、バカにされてるくらいが安心する。えへへとか言って、意図的にダメなところをアッピールするパターンの自分がいるなと思ってたんだけど、そういうことで説明がつく。つまり自分の自分に対する評価と、周りからの評価の均衡を保つための戦略だったんだと思う。そういうときに、予想外のところから予想以上に否定されるということは必然的に少なくなす。もともと自己否定感でいっぱいだからね。いつなんどき、どんな感じで否定されても、それにビックリすることは少ないかも。でもその逆で予想外のところで褒められたリしようもんなら、とってもビックリするよね。嬉しさとかナッシングだよね。